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最近、Netflixをはじめました。
コンテンツはたくさんあるのですが、その中でドキュメンタリー映画のカテゴリにあった「監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影」という映画に強く惹かれたので、見ましたが、あまりに興味が湧いたので何度も繰り返して見てしまいました。
一言でいうと、本当に「リアル」だな。
と感じました。
それとともに、世代間でデジタル社会に対して感じる感じ方や捉え方が違ってくる側面もあるのかなと思いますが、これからあらゆるコンテンツだけでなく、行政サービスまでIT化する方針の中、デジタル情報として統合されていきます。
確かに利便性は高まります。
しかし利便性を得る代わりに、私たちは何を失うのでしょうか?
すべての行動を監視し記録する社会
自分の行動のすべてがどこかの誰かに監視され、記録されているとしたらどう感じるでしょう。しかも、それはもうすでに行われていると知ったとき、どう行動できるでしょうか?
Netflixで「監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影」というドキュメンタリー映画をみる前から、なんとなく監視社会への恐怖感を感じていました。
コロナウィルスに関するフェイク情報の蔓延
フェイク情報をもとにした暴動
そのようなニュースをみるとき、SNSは単なるライフラインとしての情報ツール以上に有害なコンテンツになってしまっていると感じていました。
このドキュメンタリー映画は、非営利団体の「Center of Humane Technology」を共同で創設した元Googleのデザイン倫理担当者のトリスタン・ハリスと、Facebookで「いいね」ボタンのデザインに関わったジャスティン・ローゼンスタイン、Pinterestの元CEOであるティム・ケンダルなど、主要なSNSや検索プラットフォームに携わった革新的なリーダーや内部告発者たちのインタビューから構成されています。
世界をよりよいものにするため、テクノロジーは進化してきたはずなのに、人々を孤独化させ、二極化させ、混沌をもたらす問題が明るみになってきている現状への警鐘となる映画だと感じました。
子どもにスマホを与えるのは麻薬を与えているのと同じ
かのスティーブ・ジョブズは、自分の子どもにはiPadもiPhoneも与えることはしなかったエピソードが有名です。
iPadに関して、ある記者がこう質問します。
「お宅のお子さんたちは、iPadをさぞ気に入っているのでしょうね」
すると、スティーブ・ジョブズは
「うちの子どもたちは、まだ使ったことがないんだよ。家では、子どもたちがテクノロジーを使う時間を制限しているからね」と答えました。
また、3Dロボティックスの最高経営責任者であるクリス・アンダーソンも、自身の5人の子どもたちに対して、「テクノロジーの危険をこの目で見てきたし、私自身が経験しているからです。子どもたちには、そういうことが起こってほしくはない」として、制限時間を設けて親が管理するようにしています。
彼らのようなデジタルツールの権化のような人物がこぞって、端末を与えないのは、ポルノなどの有害コンテンツだけでなく、デジタルデバイスの中毒になる危険性を避けるためです。
彼らの共通のルールは、「寝室にスマホを持ち込まない」ことです。
「カスタマー」ではなく「ユーザー」と呼ぶIT業界
FacebookのグロースチームのトップだったChamath氏が提唱した数々のグロースハック理論がシリコンバレーでは教科書となりUberなども採用されていると紹介されていました。
A・Bテストなどの実験を繰り返し、閲覧者である「ユーザー」を望む方向へ誘導するための最適解を見つけられるよう何度も何度も繰り替えし、機械学習をする。
そうすることで、目指す結果を得るためには、逆算してどのようなアプローチでどのようなタイミングで広告を表示させれば、最適な行動パターンを得られるのかの最適解が洗練されていきます。
まさにユーザーは広告を見させるための実験台であり「ゾンビ」なのです。
GoogleやFacebookなどのITテック業界にとって、利用者は顧客ではないのです。
顧客は、「広告主」であり、
利用者は「商品」なのです。
業界にとって大切なのはお金を払ってくれる株主や金主であって、ユーザーではありません。
選挙運動に利用されることで民主主義は崩壊する
Facebookは、すでに選挙運動における投票行動を意図的に動かすことは可能だと言っています。選挙期間中に、ユーザーの潜在意識に信号を送り、より多くの人に投票に行かせることができるし、気づかれることもなく意図的に操れると結論づけています。
行動を誘導されていることなど、ユーザーは全く一切気づくことができません。
毎日表示される「オススメ情報」は、ユーザー自身の嗜好にあわせて表示されています。しかし、そこに誰かが特定の意図をもった方向へ誘導するためのコンテンツを紛れ込ませていたとすれば・・・。
想像するだけで恐ろしいことになります。
情報発信という「甘い蜜」
「新しい情報を発信をしている」
「正しい情報を発信している」
情報を発信することで、発信した情報への「反応」が気になる。
気になって、何度も何度もスマホをみる。
そしてまた、発信する。
その繰り返しをしているうちに中毒者になっていく。
危険性を感じて、スマホアプリを削除しても、またPCやWeb経由でまたログインして見てしまう。目的がなくても、いいねがほしいわけでもないのに、見てしまう。
ほしくないしやめたいのに、やめられない。
これは麻薬中毒者と同じ構図です。
情報に支配されて消費される「時間」という財産
Facebook、Twitter、Instagram、Youtube、Tik tok、Snapchatなどをはじめとして、様々なSNSツールやデジタルツールが世の中に溢れており、多くのコンテンツはすべて無料で使用ができます。
無料で提供されているコンテンツを使用しているメリットを考えることがあっても、なぜ無料で提供されているのかを恐れる人は少ないですし、恐れたところでもうすでに逃れられないのも事実です。
一日中、暇さえあればスマホを開いて、「いいね!」を押し続ける。
目障りなコメントや意見があれば、一方的に断罪する。
そうやって、24時間の大半を消費して、就寝する。
このような生活を子どもたちが送ることが健全なことかどうかは、考えればわかります。
ただ禁止するだけではモンスター化する
「大人買い」という言葉があります。
子どもの頃、買ってもらえなかったものや禁止されていたことを大人になって自由にできるようになったときに、反動で必要以上に買ってしまったりするひとがいます。
スマホやタブレットなどのデバイスが今後、目の前からなくなるということは、現実的に考えてありえないことなので、ある程度、子どもにもそういったデバイスに慣れさせることで、危険性を考え、問題を自分自身で捉える力を身に着けさせることも重要です。
ただ単に禁止するだけでは、スマホを解禁した途端、デジタルモンスターになる可能性もあるのです。
スマホジャンキーになる子ども
この映画の中盤で、このようなシーンがとても印象に残った。
ある家族が、夕食を家族で食べる際、母親が
「今日は、五感をフルに楽しんでもらいたいから、食事中はスマホ禁止ね」
といいました。子どもたちはイヤイヤながら従い、そして、タイマーでロックができるボックスに子どもたちだけでなく、自分たちのスマホも含め、入れて、食事をはじめます。
今までは食事中どんな会話もなかったのか
食事中は、無言になってしまい、それぞれがどんな話をするか
模索する中、ボックスにしまったスマホに通知が鳴ります。
子どもたち2人が、スマホをみようとしますが
もちろんタイマー式のロックがかかっていますので、開けることができません。
そこで諦めるはずでしたが・・・。
次の瞬間、
子どもは、ラチェットレンチでボックスを破壊し、スマホを取り出してしまいます。
結局、箱を壊してまでルールを守れなかった娘と話をするため両親は娘の部屋に行き、妹にスマホの画面を破壊された息子も自分の部屋に戻ります。
残った姉は1人で夕食をたべて「すばらしい夕食ね」と皮肉を言うというシーンです。
だいたい予想できますが、この子どもの行動は、まるでジャンキーですが、おそらく珍しいものでもなく、禁止されていても、頭ではわかっているけど、守れないほどの中毒性があるのです。
「そんなおおげさな」と思う人は、自分のスマホに利用時間を計測するためのアプリを入れて1週間計測してみるといいでしょう。
自分が思っている時間とくらべて、差が少なければ、あなたは中毒者の可能性は低いと言えますが、多くの場合、自分がおもっている3~10倍の時間をスマホなどのデジタルデバイスに使っています。
デジタルによる侵略戦争
現在、米中の間で、Tik Tokの禁止など政治的な話題でやり玉にあがりますが、たかがSNSツールをつかって何がいけないんだ?と思いませんか?
あるIT専門家は、「データを抜き取られる心配がある」と言いますが
そんな専門家に「じゃあ今現在、抜き取られていないんですか?」と聞きたいです。
Googleならよくて、バイトダンスは駄目
Appleならいいけど、ファーウェイは駄目
この論理に矛盾はないと思いますか?
日本は、デジタル戦略が遅い、だから給付金の支給も遅かったんだ!とSNSツールを使った宣伝がされていますが本当にそうでしょうか?
遅いのは技術力がないからでしょうか?
給付金の支給が遅いのは、デジタル化されていないからでしょうか?
真実がどこにあり、誰が真実を知っているのか。
そもそも真実なんてものが、この世の中にあるのか。
甚だ疑問に思ってきました。
60年間で1兆倍以上の進化を遂げた演算性能
1946年に誕生した「ENIAC(エニアック)」は実用された人類最初のコンピューターです。
ENIACは、今のようなPCの大きさでもなく大きな部屋をそのまま占拠しなければならないほど巨大で、ENIACの性能は毎秒5,000演算しかできませんでした。しかも約150KWもの電力を消費する非常にコストパフォマンスが悪い代物です。
そのENIACがさらに、進化し、コンピューターが一般化された1960年代です。
この時代、FLOPS(演算性能の指標)は、毎秒100万~500万回にまで進化します。
しかし、2020年現在の演算処理性能は、なんと
毎秒100,000,000,000,000,000(10京)回になっています。
2000年ですら100,000,000,000,000(100兆)回ですが、
たった20年から比べても1000倍以上になります。
NVIDIAのプロダクトマネージャーであるランディ・フェルナンドはこう言います。
1960年代にくらべて、情報処理能力は1兆倍になっている。
こんな成長は、他では見られない。自動車は2倍程度だ。
他の数字はすべて無視できる規模だ。
そして重要なのは、我々の脳は進化していないということだ
そう、我々の脳は数百万年前から進化していないのに、目の前のデバイスの裏側にいるコンピューターの処理能力は、たった60年で1兆倍以上に成長しているのです。
AIによる人類の支配はすでに完成し、実際にもう支配されている現実に生きているということが数字の上でも理解できます。
The Social Dilemma
「ソーシャルジレンマ」
この映画の原題です。
結論として、監視資本主義という日本語の題名よりも、ソーシャルジレンマの方がなんとなくしっくりきます。
Dilemma=相反する二つの事の板ばさみになって、どちらとも決めかねる状態
SNSがもたらす飛躍的に便利になった社会的なメリットがあるとしている一方で、その情報によってもたらす悪影響などに警鐘をならしているスタンスは、まさにソーシャルジレンマという原題がすべてを現しています。
どれだけの「いいね!」がついているのか。
どれだけの「登録者」がいるのか。
どれだけのクリック数やページビューがあるのか。
情報の正誤や善悪ではなく、いいねや登録者数やコメント数、クリック数、PVがあるのかが優先されるのは本当に人々を幸せにするのでしょうか?
煽って炎上することで有名になり、お金を儲けることができる。
それが正義としてもてはやされる。炎上できるのなら何をやっても構わない。
そんな悪影響の映像が、思い当たりすぎて恐怖を感じる映画でした。
収益のためだけに無秩序にルールや規制がない中、ただ「便利だ」というだけで、一民間企業が提供するサービスに国民の情報を統合してしまっていいものなのか。
しかも、それが海外の企業だという現実をどれだけの国民が理解しているのだろうか。
それを考えると、新内閣で推進される「IT」というものが、末恐ろしく感じるのは私だけでしょうか?